アドニスたちの庭にて
 “青葉祭” 〜鳴動 D
 

 

          
終章



 すったもんだの一日だったが、終わり良ければ全て善しということか。暴力沙汰になってはこっちが困らないか云々という、いかにも物騒な会話こそしたものの、高見さんがこそりとその胸中でつぶやいていたように、そもそもこちらからは手を出す用意なんてなかったものが。まずは首謀者のムロとかいうのが抵抗を見せたがため、進が已なく“正当防衛”を振るって見せただけであったのだし。遅ればせながらか、それともこれも計算しての段取りだったのか、やっとのことで数台分のパトカーの音が遠くから近づきつつあったのへ、
『…おい、ヤバくね?』
『とっとと逃げようぜ。』
 慌てて尻込みし、逃げを打ちかかった手合いたちへは、手が空いてたのっぽの一年生コンビがすっくと立ち塞がることで退路を断って見せ。
『退けよ、ごらぁっ!』
 必死な割に、まだ虚勢を張りたがってた血の気の多い何人か。既に気絶していた兄貴分のムロをその場に放り出したままでという、立派に身勝手さ丸出しで逐電したかったらしいのへ、
『あ〜〜〜、そういうのって可愛くな〜い。』
 それは判りやすい口調の、これも挑発か、小馬鹿にするよな応対をした水町へ、このっと拳を繰り出して来た先鋒の青年は、その目標が急にしゃがみ込んだため。正拳を空振ったその上に、
『はがっ!』
 長い脚での水平ぶん回しに、易々と足元を掬われて引っ繰り返ってしまってる。届けばラッキーなんて甘いもんじゃない、サッカーで言う“フロントキック”。がっつりと狙いを定め、足の甲にての力の籠もった一蹴りを炸裂させての蹴たぐりにて、見事すって〜んっと素っ転ばした水町くんであり、その一方では、
『幹部の置き去りなんて水臭いことをしちゃあ、後々で追われるだけじゃねぇのか?』
 その場しのぎも甚だしいなという、一応はお説教つきで立ち塞がった、とんでもない長身の男衆へ、
『うっせぇっ!』
 破れかぶれながらも、多少は場慣れしたそれなのだろう、正拳を突き出した不良くずれ。腰も入ってて結構スピードの乗った代物ではあったものの、
『あわ…っ!』
 それが相手へ届く前に、伸ばし切ってた肘を内側から真横へと薙ぎ払われての失速にて。大風に煽られた柳の枝のように、バランスを崩したままで横様に大きく素っ転んでいたりするみっともなさよ。
『リーチの差が凄いよねぇ。』
 恐らくはあのまま突っ込んでいても、大きな目標になろう頭をあの大きな手のひらで押さえられたら…そっちからは手の先だって筧くんへは届かなかったに違いなく。そんなほどもの実力差が文字通りの“壁”となって立ったことへ、やっとのことで観念したらしい面々は、しおしおと項垂れたままに全員が警察へとしょっぴかれて行った。三宅とか呼ばれていた黒美嵯校生以外は、微妙ながら少年課では収まらない年齢層の顔触れだったので、しばらくほどは本格的な取り調べのため、署の方へと留置されもすることだろうし、

  「妖一が持ち出した“○○会がバックについてて何とかかんとか”ってのはね、
   ムロとかいうのが勝手に持ち出してた名前だったらしくてさ。」

 確かに、その名を笠に着た関係者とは盛り場で親しくしていた彼だったらしいし、いざという時には、その“兄貴”に口を利いてもらったりの、後押しをしてもらったりのという間柄でもあったらしいのだが、はっきり言って組織的には無関係。○○会というのがあまりに大きな組織だったから、末端の末端の末端というほどにも遠いつながり。先代のトップが直属の組の組頭あたりとは面識があったのかもしれない…というほどに、そりゃあ希薄な関係に過ぎず。お守りやお墨付きのように名前を濫用しては彼らばかりが甘い汁を吸っていたというのがホントの真相で、
「今回のことが詳細まで、その大きな組織とやらへとバレたなら。今度は逆に、今まで関わってた全員引っくるめてえらい目に遭うだろうからってことか。繁華街が急に静かになったって『R』のマスターが言ってたそうだよ?」
 そこまでの効果が出たなんて可笑しいったらと、そりゃあ楽しげに笑った桜庭が、明るい窓辺から振り返った先。ごくごく普通一般の市民病院さんでは望めないような、高級ホテル並みの広さに寝具に調度という充実した設備の“病室”へ、担ぎ込まれて二日目の十文字が…有名どころのブランド品らしき、純白のシルクのパジャマに身を包み、少々居心地悪そうな様子でベッドに座っている。此処は桜庭くんチの掛かり付けだという大きな個人病院で、強かに殴られていた彼だったからと瀬那があまりに心配したものだから、精密検査を受けさせようということになり選ばれた場所。本人の意思を一番後回しにした結果になったところが、何とも彼ららしい運びであり、幸いなことには、頭や腕・脚、各所の筋肉に骨、内臓に至るまで、後遺症が出そうな重大な怪我はないとのこと。
「検査は済んだんだしよ。もう帰っても良いんだろ?」
 立って歩けて駆け回れる体で入院なんてとんでもないと、こういうお上品なグレードにはどうにも落ち着けない性分であるらしい十文字が、とっとと退院させてくれと言いつのったものの、
「ダ〜メ。」
 新米のママさんが幼い息子へ、あやし半分に話しかけるように。
(おいおい) そりゃあ楽しそうに、満面の笑みを浮かべて言い返す桜庭さんだったりし。
「此処の外科部長さんは完璧主義者だからね。そうまであちこちに傷が残ってる身で、病院の外へ送り出すなんて以っての外だって。少なくとも、そう。切れた口元が治って頬の青アザがもう少し薄くなるまでは、此処から出してもらえないと思うよ?」
「何だよ、そりゃあ。」
 あくまでこちらの身を思っての配慮だった内はともかくも、こうなってくるとある意味で“苛め”に近いのかも。この御曹司に何とか言ってくれよと、一輝さんがSOSを滲ませたお顔を向けた先では、
「ま。骨やすみだと思って甘んじて受けな。」
 金髪痩躯の悪魔さんが“けけけ…”とばかり、こちらも楽しげに笑って見せる。
「幸いなことには春のユース交流戦も一段落ついてるんだし、それに…今うろちょろしてっと、妙な連中から他のチンピラどもと一緒くたな存在だって見られかねねぇからな。」
 だからって“尻尾巻いて夜は家にいました”じゃあ、黒美嵯の頭目としてカッコがつかねぇだろうしな。此処にいて一通りの“大掃除”が済むまで大人しくしてなと、誰が誰をどんな風に“お掃除”しているのかを重々知っていながら、悠然と言い切る恐ろしさ。この若さではまだ、あまり深入りしたくはないよなそういう運びへも、虫をも殺さぬ顔をして…きちんとした見通しを立てられるわ、場慣れした手筈を繰り出せるわ。今時、一番恐ろしいのは、日頃から挑発的でキレては暴れる判りやすい乱暴者よりも、実は実はこういう輩なんだろなと、今あらためて思い知らされていたりして。
「ま、これで、黒美嵯にも白騎士にも、厄介な手出しをして来る輩はいなくなったってことで。」
 飴色のつやの中に深い色合いの木目が美しい、丁寧に使い込まれた優美な曲線の肘掛け椅子へと腰掛ける様が、そりゃあノーブルなまでの落ち着きと華麗さでバランスよく決まっている美丈夫な王子様。やっぱ、いいトコの坊っちゃんってのは、こういうところからして違うんだなぁ、俺なんか此処に備え付けのタオルでさえ、あんまり綺麗すぎるからって手拭いとして使うのにどんだけ躊躇したか。でもまさか、このパジャマでぬすくって拭く訳にもいかねぇしと、それでようやく腹が据わったらしいというのに…と。世界の違いをしみじみ味わっていた十文字だったが、

  「これで落着出来たのも、君が山ほどの骨を折ってくれたからだよね。」

 あらためましてのお声をかけて来た桜庭には、正直、何を言われているのやらと上げた顔をそのまま傾けて見せる。
「妖一から聞いてる。ホントだったなら、実家に近い都立高校へ進学する予定だったんでしょ?」
「…ああ。」
 何だ、その話かと、やっと合点がいったらしく、だが、
「いきなり大事な進路を変えてもらって、しかも実家から離れるなんていう、不自由な生活にもなったろうにね。本当に悪いことをした。謝るだけじゃ済まないことだけど…。」
「いいって。」
 ちょっぴり強い語調にて、桜庭からの神妙そうな言葉を遮った十文字であり、え?っと顔を上げた亜麻色髪の生徒会長さんへ、
「そういうのでゴメンとか言われるのは、面倒だしよ。嫌なら断りゃ良かったことなんだ、あんたに謝ってもらう義理はねぇよ。」
 それこそ、これが素の顔だと言わんばかりの、ちょっぴりやんちゃそうなニヤニヤ笑いに頬を上げ、
「こっちもこっちで、毎日刺激が一杯あって結構楽しかったしな。それに、ガッコのランクは上だからって覚悟してたら、入っちまえば何のこたない、運動部クラスなんざロクに授業もないくらいの優遇だしよ。」
 公立でってのは無理がありますかしらねぇ…。でも実際のところ、そんな感じだそうですね、スポーツ奨励校って。サバサバしたお言いようの後輩さんへ、だが、
「偉そうに言ってんじゃねぇよ。」
 凭れていた壁から身を浮かせ、昨日の白い学ランからは打って変わっての今日は私服で、黒い開襟シャツを羽織った胸の前にて組んでいた腕を解きながら、逆立てた金髪も挑発的なクラブチームでの先輩さんが、ベッドの間際まで寄って来る。
「そもそもは、何かあったら連絡して来いって言っといた筈だ。」
 なのに、何かあったらまずは自分で片付けていた、困った後輩の十文字くんであり。昨年度のあれやこれや、校内やここいらを“シメる”ための何やかやは…まあ自力ですべきことだったからと言われりゃ、それはそれで仕方がなかったのかもだとしても、
「肝心な詰めでまで、ギリギリ危なくなるまで連絡を寄越さんでよ。」
 この野郎めが〜〜〜っと恨めしげに、眇めた目許で睨んで来る金髪の悪魔様。これへはさしもの大物後輩も、何をされるやらという恐怖が素直に沸くらしく。ベッドの上で後ずさりをしかかる彼が気の毒に思えたか、それとも…彼らが彼らなりのツーカーでじゃれ合ってるのがちょっとだけ妬けたのか、
「それよか。妖一、あの二人の話は?」
 桜庭会長が割って入って、恋人さんの視線を自分へと引き戻す。
「あの二人?」
「ほら、筧くんと水町くんだよ。昨日、此処で何か話してたんだろ?」
 あいにくと桜庭さんだけは、此処の院長先生からのご挨拶をというお声がかかったものだから、席を離れねばならずだったので、その場には居合わせられなかった。
「やっぱり妖一に用向きがあったらしいってじゃないよ。」
「妙な日本語を使うのはやめな。」
「おやおや、口の利き方で妖一からお説教されようとはね。」
 ほらほらキリキリと白状しなさいと言われて…そんな命令口調でかかられたならますます臍を曲げるかと思いきや、
「しょうがねぇな。」
 もう大方は判ってるんだろうによと、後ろ頭を掻きながら、それでも渋々話し始める過激な先輩さんへ、

  “………へぇ〜。”

 何だかんだ言って抵抗しては見せてても、結局は言いなりじゃんと。天衣無縫の尖んがり野郎な先輩に、意外な可愛らしい一面を見たようで。
“もしかして、俺って邪魔かも?”
 殊勝にもそんなことまで思ったほど。いやまったく、早く退院させてもらえたら良いのにねぇ。
(苦笑)







            ◇



 その根っここそ、一昨年という随分と以前に彼らによって仕掛けられた“囮
(オトリ)”であり、それがやっと作動しての運び…だとはいえ。今日一日のすったもんだの後始末となると、もう既に彼らの手からは離れたお話。人目を避けての路地裏世界にて、大人たちの誰が何をしていたのかは、その筋の専門家の方々にせいぜい追及していただくとして。囮に引っ掛かった悪党どもの牙が、罠を張った当事者の生徒会首脳部の誰かへ辿り着かず、選りにも選って事情を全く話しておかなかったところの、小さなマスコットくんが怖い目に遭ったりもしたのは、はっきり言ってこちらの落ち度。素人が学業や日常生活の片手間にやるには、やっぱりあれこれと破綻というのか無理があったみたいだね、水も漏らさぬ手配りだろと高を括ってた僕らも悪いと。細っこい腕の柔らかなところ、手錠なんかで軽く怪我をしちゃってたセナくんへ、進さんや桜庭さんのみならず、高見さんや蛭魔さんまでもが“ごめんね、済まなかったな”と謝って下さって。たくさんたくさん怖い想いをさせたのは、どうでも僕らで償うからね、
『だから、進のこと、幾らでもこき使ってやってね?』
『…ちょっと待て。』
 そのくらいは自発的に考えていたこと。とはいえ、何でお前からの進言あっての運びにされねばならんと、どさくさに紛れてちゃっかりしたことを言ってしまった会長さんを、大きなお兄様がすかさず窘め、
『セナくんにまつわることとなると、あの進でも道理の順番とか、深慮出来るようになったみたいですね。』
『…いや、今のはどう考えたって道義的に訝
おかしすぎる順番だったろうがよ。』
 お前も…いくら先々では彼の秘書筆頭に据わる身だからといったって、桜庭の言いようを世界の中心に据えるのはまだ早いぞ、基本を見失うなよと、蛭魔さんが高見さんへとツッコミをいれて。………さて。

  「………で。」

 手当てと初動検査とが一通り済み、病室へと戻って来た十文字くんを迎えたのと入れ替わり、院長先生からご挨拶があるらしいということで桜庭会長が病室を後にして。そろそろ面会時刻も終わりそうだし、これで“それじゃあ、お開きだね”となるところ。あの場にいた全員で顔を揃えていたその中、
「あ、いっけない。カバンとかガッコに置きっ放しだ。」
「じゃあ、一緒に取りに戻ろうよ。俺らも着替えがガッコだし。」
 朝ご飯以降何も食べてなかろうからと、此処へ来る途中で桜庭さんがQ街の高級パテシェエ『アンダンテ』へと電話を入れて取り寄せさせた、初夏のチェリーとミックスベリーのフルーツクレープと、宮崎発 完熟マンゴーのムースケーキとで、少しでも元気になれなれとした応援が効いたのか。何とか落ち着き、笑顔まで見せるまでに回復した小早川センパイへ。此処ぞとばかりに、屈託なくも話しかけて来た大きな後輩さん。でっかいゴールデンレトリバーみたいな印象を与える、ふさふさな長髪の乗っかった頭が届くようにと腰をかがめて、いつもみたいに撫でて撫でてと“にゃは〜っ”と愛嬌たっぷりの笑顔つきに懐いて見せたところが、

  「ちょっと待ちな。」

 と、これは先程の黒髪のお兄様からではなく、金髪の諜報員こと、蛭魔センパイからのお声がかかり、
「これも良い機会だ。お前ら二人がその図体でこそこそと、一体何をしに俺らのガッコへ来たのだか。この際だからはっきりと話しといてもらおうじゃねぇか。」
 特に怒っていらっさるという気配はないものの、下手な誤魔化しや悪じゃれは通用させんぞという真摯さが籠もったお顔をしておられ、

  「だからさ、あんたを勧誘しようと思ってサ。」
  「勧誘?」

 桜庭さんが此処にいたならきっと、ご本人よりも素早く反応を示しただろなと、セナがついつい思ったような。彼を望んで“宜しかったなら一緒に来ませんか?”とお誘いする意味合いを含んだ、そんなフレーズであり、
「俺らの素性に関しては、もう薄々と気がついてはいたんだろ? あんたの側からも。」
「まあな。」
 深色の眸はそのまま彼の奥行き深いのだろう人間性をも感じさせ、言葉少なに問いかけた筧くんへと、こちらは淡灰色の眸を鋭く光らせて蛭魔さんが是と応じる。
「NFL○○○○○のユースクラスチームの秘蔵っ子。今時は日本人が加入したってくらいじゃあトピックスにはならないから、それでこっちじゃあ知る人も少ない話だが。」
 ○○○○○といやあ、蛭魔には微妙に話が別。昨年、やっとのことで居所が判った、実の兄にも等しいほど、いやいやもっと懐いていて親しかった、大好きだったお兄さんが、現在はマネージメントスタッフとして関わっているビッグチームであり、

  “ルイがこいつらの話ばっかメールで送って来やがってたからな。”

 関心がなくたって覚えるわいと、おやや、その口調って。もしかして…ちょっとは妬いてらしたとか?
“…うっせぇなっ!”
 ぷくくのく…vv まま、筆者との脱線はともかくも、
「来期にも一軍の控えへ上がろうかってな“金の卵”が、何でまた日本の私立の高校へ、お暢気にも入学してたりすんだよ、こら。」
 もしかしてフロントと何かしら折り合わなくての交渉決裂でもしたのかしら、それともまさかの日本でのデビュー? いやいや、そんな大きなプロジェクトは、どこの協会でも準備しちゃあいないぞ。企業だって今はまだ、そうそう景気がいいトコなんてありゃしない。彼らを起用しようとなると“NFLの…”と冠するだけでどれほどのロイヤルティーを支払わねばならなくなるか。楽天のプロ野球参入どころじゃない、そんなド派手なパフォーマンスが出来るほど潤沢な資金があるクラブチームなんて、心当たりはないぞ…とばかり。情報では誰からも出し抜かれたことのない妖一さんを大いに混乱させた二人であり、よっぽどのこと、アメリカの葉柱のお兄さんへ何がどうしたんだと問い合わせようかとも思ったものの、
“何だ、奴らに興味が沸いたのかなんて、喜色満面、言い出しそうな空気だったしよ。”
 それが何だか癪だったので。もうちょっと、自分で何とか形になるまで調べてみようと、連絡を後回しに構えていた彼であったらしくって。………まあ、まだ五月の初め。入学式から数えても、一カ月も経ってはない話ですからね。どうにも話が見通せず、鋭い眼差し、尚のこと尖らせている妖一さんへ、
「あのね、アメリカのガッコは九月からだから。それまでの半年を好きに過ごしてみたかったんだ。」
 水町くんが、具体的な説明に入る。
「実を言うと、俺らはもう、地元の高校への進学が決まってる。そこと此処とが兄弟校としての親睦提携を結ぶことになってるんだ。」

  「…はい?」

 と、これは。高見さんの出したお声。学校行事のみならず、そういった提携だの事業展開の発展だのという、学園サイドの経営的な動きにも、どうかすると蛭魔さん以上の情報収集力にていつだって先んじて噂を手元へと集め切り、先生方よりも早くに事態を把握し、学生への影響というもの、きっちりとシュミレーションして桜庭さんへ洩れなく報告していた人だっただけに。そんな大掛かりな話をチェック出来ていなかったこと、彼にしてみれば…思わず声が立ってしまうほど、かなりの衝撃であったらしいのだが、
「でもまあ。このところの日本の経済不安やら所謂“貿易摩擦”ってのへの風当たりも強いからってことで、正式にどうなるか、いつからなのかなんてことは、まだまだ不明らしいんだが。」
 筧くんの一言へ、
「え? そうなの?」
 選りにも選って、相棒の水町くんが大きく眸を見張ってしまったのがまたご愛嬌。彼にしてみりゃ、そういう細かい背景はあんまり理解せぬままに、日本へ行くぞという話にだけ乗ったのであるらしく、
「俺は小早川さんにまた逢えるってのが嬉しかったから、このガッコに行くぞって話に乗っただけなんだけど。」
 まさか此処に“ヨウイチ・ヒルマ”も通ってたなんてね。凄っごい奇遇だと、あっけらかんと笑ったのが水町くんなら、
「俺らの間じゃあ、日本人といやあ“ヨウイチ・ヒルマ”って名前の方が、ゴジラ・マツイやイチロー・スズキよりも有名なくらいなんだぜ?」
 だから、兄弟校としての親交を結ぶ掛け橋になるついで、自分らと一緒にサブチームに上がってくれないかと、凄腕QBだという噂の“ヨウイチさん”へ打診しに来た筧くんだったのだそうで。そんなことをけろりと言ってのけたところなぞ、不器用なんだか図太いもんだか。凛と静謐そうに見せながら、その実、内面にはいかにも一途そうな、果敢な炎を絶やさぬところを重々と感じさせ。寡黙で頑迷、クールに見せといてでも実は熱血派だなんて、

  “そゆとこも、何だか進さんに似てるような気が…。////////

 と、こちらさんは何でも“お兄様”が物の秤
はかりになりやすい小さな弟くんが、勝手にぽうとその頬を染め。傍らにおわしたそのお兄様の懐ろに…これは無意識のことか、ぽそんと小さな身を寄せてみたりもしたのだが。

  “…あんの野郎〜〜〜。////////

 こちらさんは、恥ずかしいことしてんじゃねぇよと、お身内のはしゃぎようへ自分の失態のごとくに苦々しいお顔をする蛭魔さんであり、

  “よし決めた。
   夏休みには絶対に“○○○○○の練習見学ツアー”に招待させてやる。”

 ホントは非公開のそれだって構うもんかい、こんだけ引っ掻き回されたんだからなと。今はアメリカの空の下、何も知らずに…既に半年を切った秋から始まる、NFL今年度リーグへの様々な業務事務をバリバリと片付けていなさるのだろう、ちょっぴり腕の長い黒髪の誰かさんへ、早くもお仕置きを決めたらしき金髪の悪魔さんだったりしたのでございます。
(苦笑)








            ◇



 その後、蛭魔さんがやっとのこと、アメリカの葉柱のお兄さんへと連絡を取ってみたらば、
『っ、あいつらそっちへ行ってたのかっ!!』
 実は…向こうでは向こうで、何の連絡もないまま“失踪”したことにされかかっていたそうで。良くぞ知らせてくれましたと、何だかご本人が今すぐにでも迎えに飛んで来そうなほどの反応を返されたのだとか。
『…家族で来てたんだよな、筧の方はよ。』
 おまけでついて来ていた水町くんの方はともかくも、お父さんのお仕事の都合で家族全員が日本へと移動していた筧くんまでもが“行方不明”にも等しい失踪扱いになっていたとは。
『結構アバウトなんだな、アメリカってのは。』
『まあ、不法移民だとかの場合、移民局の手入れの噂を聞いただけであっと言う間に姿をくらますようなところでもありましょうからね。』
 勿論のこと、彼らはそういう事情などは持たない人たちだったのだけれども。結構豊かに堅実に暮らしてた人でさえ、そういう奇妙な失踪をしちゃったりしもするのが、アメリカでもあろうから。
『宇宙人に攫われたと思われてたとか。』
 こらこら、懐かしの“X−ファイル”ですかい。
(苦笑) しかも彼らはチームにとっての“秘密兵器”であったがために、鉦かねを鳴らして、名を呼ばわってというような格好にて、大々的に探す訳にも行かずであったらしくって。首脳部の方々までもが、ライバルチームへの引き抜きにあったんじゃなかろうか、まさかまさかチーム内での苛めなんてものがあったのではと、諸説紛々、水面下でながら吹き荒れていたとかで。そんな訳で、と〜も〜かく とっとと帰って来いという、チームからのお達しが飛んで来て、早々にもアメリカへ戻ることとなったらしくって。

  「ううう、名残り惜しいなぁ〜〜〜。」

 せめて夏休みまで、一緒に過ごしたかったのにと。大好きな小早川先輩に逢えたは良いが、たったの2カ月ちょっとしか一緒に居られなかったというのが、やっぱり残念で残念でしようがないらしい水町くんが、私服姿だとなおプリティな、小さな先輩さんをぎゅぎゅうとその懐ろへと抱き締めたのは、成田空港の国際線送迎ロビー。ゴールデンウィークを海外で過ごした方々の帰国ラッシュに沸くスポットだけあって、人々のざわめきやら時折沸き起こる若者たちの歓声などが漫然と満ちており、いかにも闊達そうな空気が旅立ちの場には相応しく、
「一緒にプールや海にも行きたかったし、ロッジへ出掛けてキャンプファイアーでお歌も唄いたかったのに。」
 あと、お墓での肝試しもしたかったし、スイカの暴れ割りとか掛け流しの流しそうめんとかも食べたかったし…って、あのあの、それって。
「…それって誰から教えられた“日本の夏”なの?」
「掛け流しってのは、天然温泉の条件の用語じゃなかったですかね?」
「え? だって、ヨウイチさんが。」
 お答えと同時に、ふいっとあらぬ方へと視線を逸らした人物が約一名あり…って。おいおいおいおい、蛭魔さんたら。
(苦笑) そしてそして、
「誰が“ヨウイチさん”だってぇ〜〜〜?」
 これこれこれこれ。桜庭会長たら、眸が座ってるってば怖いって。
(爆笑) お目見えからこっちのずっと、何かと縁があったもんだからということで、生徒会のご一同がお見送りに来ており。何やら…ややこしくも ごちゃごちゃしている彼らだからというだけではなく、

  「ちょっとちょっと、あれ見てよ。」
  「わっvv 何なに。イケメンばっかじゃないvv
  「しかもバラエティに富んでまたvv」
  「や〜んvv あの、一番背の高いお兄さん、まゆの好み〜vv
  「あら、あたしはあの金髪の人よね。美人〜〜〜vv
  「あすか、趣味悪い〜〜。」
  「あたしはあの一番小さい子vv
  「さやか、相変わらず“ショタ萌え”なのね。」
  「だってさ。…あれ、でもあの人。」
  「何なに?」
  「もしかして“サクラフーズ”のCMに出てたモデルさんじゃない?」
  「あ、知ってる。ファンタスティック・ジャパニーズvv

 そりゃあ、まあねぇ。
(苦笑) 見栄えのするお兄さん揃いの一団だから、人の目だって集めてしまうというもので。それでも、芸能人ではない上に、ここは旅立つ人たちや帰って来た人たちの行き交う場。そちらの主目的を放り出して寄って来るような大胆なマドモアゼルは さすがにいないので、救われているのだが。そうこうする内にも出発の時刻はやって来て、
「あ。このアナウンスじゃないのか?」
 搭乗のご案内が聞こえて来たのでと、名残りは惜しいがさあ出発だと、手回り分の小さな荷物を手にする大きな二人。
「それじゃあ、今度逢う時は嘘や偽りのない格好で。」
 筧くんが改めてのご挨拶を金髪痩躯のお兄様へと差し向ければ、
「ああ。何だったらゲームを観に行って、フィールドとスタンドに分かれて逢うって運びにだってなるかも知れんしな。」
 期待してるぜと、にっかと笑った蛭魔さんであり。片やは、
「ホントにホントに、また逢おうね? 来年の春になったらまた体が空くから、遊びに来ても良い?」
 目撃者さえいなければ自分のトランクに入れて持って来たいかのようなほどに
(おいおい)、名残り惜しくってしょうがないという様子の大っきな後輩さんの頭を、精一杯の背伸びをして“よしよし”と撫でてあげ、
「うん。水町くんこそ、メール、今度こそ途切らせちゃヤだからね?」
 水町くんといい進といい、もしかしたなら十文字くんといい、大きな男を手なずける妙を一体どうやって身につけた彼なのやら。
(こらこら) 小さな先輩のセナくんが、
「二人とも、どうか元気でねvv
 優しい言葉を送ってあげて、皆で手を振ってのお見送り。彼らの春を引っ掻き回して下さった大きな二つの台風は、こうしてアメリカへと帰っていったのでありました。





「あのあの、進さん。」
「??」
 空港の送迎デッキというのは、開けたところを大きな飛行機が飛び交うからか、始終強い風が吹き付ける場所でもあって。ぎりぎり間近ではないにせよ、かなりの至近で発着する飛行機に、見送った知己が乗っているのだろう。柵に手をかけ見送る人々が、まるで何かしらの華々しいセレモニーを見守るかのように、轟音を追って拍手をしたり歓声を上げたり。そんな吹きっさらしのデッキへと出て来た皆様。どれが彼らの飛行機だろうねと、それぞれに滑走路を見回していたのだが、
「…あのあの、進さん?」
 ふと。セナくんが、すぐ後ろからついてってたお兄様の腕へと触れた。濃い色のTシャツの上へ重ねてらした、真っ白なシャツの袖口に近いあたりで、お話があるのですがと控えめに呼び止める時のいつもの所作だったので、他の面々からは少し歩調を遅らせて、離れるようにという位置取りをする進さんであり。あの朴念仁なお不動様が、こんなさりげないことまで出来るようになっただなんて、恋って凄い。
(こらこら) 他の人はいるけれど、身内からは何とか少々間を空けたと見計らい、セナくん、意を決するとお口を開く。
「もしかして、これは自惚れかもしれないんですけれど。」
 轟音に紛れそうになる小さなお声。全く聞こえない訳じゃあないのだけれど、風に揉まれる髪や、小さなその身が何だか可哀想にも見えたのだろう。
「…。」
 大きな手が肩へと伸びて。風から庇おうと広い懐ろへと入れて下さる所作が、間近になった温かで精悍な匂いが、
“あやや…。////////
 セナくんの気持ちを、あっさりと萎えさせかけたのだけれども。
「えとあの、えとえと。///////
 ドキドキしつつも
「今頃になって蒸し返すのも何なのですけれど。あの時、進さんは…もしかしたら、随分と我を忘れていらしたんじゃないかって思ったんですよう。」
 セナの行方が唐突に判らなくなった、青葉祭 真っ最中の昼下がり。得体の知れない男たちに略取され、あわやという渦中にあったその時に、生徒会の皆さんや水町くんや筧くんと連れ立って、あの倉庫まで助け出しに来て下さったお兄様だったのだけれども。
「だって、進さんは合気道を嗜んでおいでじゃないですか。」
 そう。このお兄様、剣道の猛者なのではなく“合気道”の達人なのであり、しかも師範代クラスの実力の持ち主でいらっしゃり。だったら、あのね? あの時の相手が卑怯者で、いくら武器を持っていたとはいえ、進さんの側は…直撃を避けるための防具としては使っても、反撃に出るにあたっては、本来ならそんなものは捨てて挑んだのではなかろうか。組み手で難なく掴まえて、そのまま“えいやっ”とそれは簡単に放り投げてしまえたのではなかろうか。
『意地の悪い攻め方ですよね。』
『まったくだ。そもそも最初の一撃、反撃に出た脇への払いで、ホントだったらあっさり伸せてた筈だろうに。』
 高見さんと桜庭さんが交わしていた会話も、後になって落ち着いてから理解出来。出来たと同時に…あのその・やっぱり、とあることが気になったセナくんで。
「もしかして…こんなことを言うのって、ボク、自惚れてるのかも知れませんが。」
 こくんと息を飲んでから、

  「進さんがあんなにも怒ってらしたのは、もしかしたらボクのせいですか?」

 えいって、頑張って訊いてみたその同じ瞬間に。轟っと。大きな風が吹き抜けてゆき、ふわふかなセナの髪を“それっ”とばかり思い切りの揉みくちゃにした。ああ、こんなタイミングでは、進さんには届かなかったかもしれないな。でもでも、もう一回なんて、ボク、言えないです。どしよどしよと、俯きかかったそのタイミングに、

  「修行が足りなかったなと、反省はしている。」

 進さんのお声が確かに聞こえて、
「憤怒の情を何とか押さえ込んでいたのだが、あまりに大きな怒りだったものだから。がっと一気に吐き出すことが適わなくてな。」
 それが小早川を怖がらせたのだな、済まないことをした、と。そうと言い出すお兄様へ、え?え? なんで謝って下さっているの? セナくん、ちょこっと混乱し、

  「だがな。」

 お兄様、小さな弟くんの髪を大きな手のひらでそぉっとそぉっと、壊れものを扱うように撫でて下さり、

  「小早川はもっと自惚れてくれ。」
  「……………はい?」

 それって一体どういう意味なんでしょうかと、訊き返そうとしたセナくんを、懐ろの奥へぎゅぎゅうと抱き締めたお兄様。
「そうでいてくれないと、俺が困るから、だから………。」
 ぎゅうと閉じ込められた懐ろの中。強い風から庇って下さっているだけなのにね。どうしてだろうか、そんな風にセナが攫われてってしまわないようにって、懸命になっておいでなような、そんな気がして…。
「あのあの…。////////
 お胸が勝手にドキドキして来る。シャツ越しになるほど間近になったお兄様の、鍛え上げられて堅いお胸の、頼もしい感触や男の人の匂いが届いて、小さなセナの気持ちを煽る。ついさっきまで水町くんにこうされてた時は何ともなかったのにな。今はどうして、こんなにもドキドキするんだろうか。悪戯な嵐が吹きすぎていった後に、あれほど落ち着いていらしたお兄様が…実はどれほど不安でいらしたか、そんな事実が後から追いついて来たようで。小さなセナくん、一気に伝えられた情熱へ、これまでにないほどのドキドキを体感してしまったようですよ?







  clov.gif おまけ clov.gif


  「…そういえばサ。」
  「? なんだ?」
  「どうしましたか? 会長。」
  「進ってば、あの倉庫でセナくん助け出した時は“瀬那”って呼んでたよね。」
  「そうでしたっけ?」
  「俺も、覚えてねぇけどな。」
  「呼んでましたってば。…でも、今は“小早川”に戻ってたじゃない。
   あれってどういうことなんだろね?」

 ケース・バイ・ケースで呼び分けてんのかなぁ。さぁねぇ。ホントに呼んでたか? 呼んでたったら、二人とも注意力散漫だぞ? …と、こちらはこちらで、妙なことで揉めてたりするようですが。………そいや呼んでましたよね。ケース・バイ・ケースで呼び分け…てるのでしょうか、果たして。


  「ケース・バイ・ケースって何なんですよう。////////
  「…そういえば呼んでいたようだが、小早川はどちらが良いのだ?」
  「え? え?
   あのえと、どっちと言われましても、あのその…えっと。////////


   やってなさい。
(苦笑)





  〜Fine〜  05.8.21.〜10.11. 


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  *いやぁ、長かったシリーズが一応はこれで決着でございます。
   不思議な来訪者二人の登場以来という数え方をするなら、
   春先から一続きだった訳ですから、なかなかの長丁場だった訳ですが、
   水町くんがセナくんへとじゃれかかるシーンは、
   正直言って………めっちゃ楽しく書けました、はいvv
   ああ、またの再会話も書きたいよなvv
   でもでもその前には、もしかしなくとも“卒業式”のお話もあるんだな。
   とりあえず今は、お疲れちゃんということで…vv
(苦笑)


ご感想はこちらへvv
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